名前とブログタイトル変更しました。
(こもも→りこ)
今後ともよろしくお願いします。
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昨日、サンキュ!ブログに書いたこととほぼ、同じですが一部書き換えたりしています。
私事ですが・・・阪神淡路大震災にて、被災した当時、私は、19歳。
19歳って言っても、短大生。
実家暮らしで、社会も知らず、当時、一人前の大人のつもりでいた私。
そんな呑気に暮らす自分の生活が180度変わる日々が、突然やってきました。
家の中はぐちゃぐちゃ。
足の踏み場はない。
とにかく夜だったから、灯りもないし、何もわからない・・・
『逃げるぞ』
と叫ぶ父の声を聞いて、なんで逃げなきゃいけないのか?意味がわからなかった私。
でも、どうやって脱出したのか、あまり覚えてない・・・
夜が明けて、近所の家々は、倒壊し、電車高架橋は落ち、踏んで通り抜けなくてはいけない。
トラックは道路にひっくりかえっている。
しばらくたって、近所に住む親せきのうちが、半壊した、との知らせ。
でも余震によって、全壊。
近所の祖母の自宅は、火が回っている最中、たどりつきました。
家具に、体をはさまれていたものの、ギリギリのところで救出された祖母。
当時の記憶が後から聞いても、飛んでいたようです。
そして、ライフラインがすべて復旧するのに、確か3か月ほどかかった気がします。
(電気1ヵ月、水道2ヵ月、ガス3ヶ月)
そんなとてつもなく大きな震災から、もう16年も経ち、十分復興したように見えます。
でも実際は、街の建物が新しくなっただけ、という部分も多く残されています。
会社がつぶれてしまったり、お店がつぶれてしまった・・・なんていうところもたくさんありました。
(つぶれてしまうことにより、長い間借金に苦しんだ人も、身近にいました)
それに仮設住宅に長い間住んでいた方もたくさんおられました。
経済の復興や住宅の復興、それから人々が元に戻るにはとても時間がかかります。
見た目だけの判断だけで、復興、とはいえない。
阪神大震災と東北関東大震災では、規模の大きさが違いますが・・・
これから復興していく、東北の街で、大変な震災があったということを忘れず、そして長く応援することが大切だと私は、思っています。
まだまだ関東地域の方は、節電しなくてはいけない日々が続く可能性だってあります。
それは、夏のすごく暑い日かもしれません・・・
今、できること。
たとえば、もちろん募金すること、物資を送ることも大切。
それが少し復興してきた頃には、被災地にある生産物を食べたり、買ったりすることもまた被災地を応援することにもつながるんじゃないかな・・・と。
それから、きれいによみがえった街へいつか旅行するのもステキだな、と思っています。
他にできることでは、献血すること。
今、震災から時間が経っていないので、献血する方が多いようなのですが、血液にも有効期限があるそうです。
きっと本当に必要なとき、みなさんの街で呼びかけが始まると思います。
その時、元気な私たちの出番!と思っています。
震災があったことを忘れないことが大切で、それが防災する意識や、被災した地域への復興へつながっていくのだと信じています。
自分の経験談の方が、前に出てしまった感があり、すみません。
今回の東北関東大震災より、規模の小さな阪神大震災でも、当時は、こんな感じだった、ということをちょっとでも知ってもらいたくて、あえて書かせていただきました。
大阪市内へお住まいの方へ
各区役所および、大阪市役所1階にても、義援金を3月14日より受付しています。
詳細 → コチラ
救援物資の受付も明日22日より各区役所、大阪市役所にて受け付けるそうです。
(事前に要連絡)
詳細 → コチラ
大変なことが起こってしまいましたね。
こももさんも、いろんなことを思っておられたこの10日余りだったのだろうなあ…と思っていました。
私たちにできること、
きっとたくさんあるのだと思います。
この時代に、この日本に、私たちは選んで生まれてきたのですよね…。
この経験から、本当の心の復興を、
私たちは担う役割があるのかなって思っています。
お互い、できることから、少しずつやっていきましょうね。
無理のない範囲で。
お久しぶりです。
本当・・・あのニュースを見たときは、この世に起きた出来事ではないよね!?なんて目を疑う内容でした。
ただひたすらショックで・・・
私たちにできること、やらなくちゃいけないこと、きっと運命であるんですよね。
震災を経験したからこそわかる辛さや、色々な気持ちを誰かに伝える。
それもまた使命なのかもしれない、と思ったりもします。
できることから少しずつ、大切なことですよね。
管理人こももより返信済みです♪